
著者について
齋藤代彦は、介護福祉職としての実践経験と、介護福祉士を養成する専門学校・短期大学・大学における24年間の教員経験を基盤に、関係情報存在論を中核とする「齋藤哲学」を体系化し、関係情報存在論としての介護福祉哲学を公開・研究している独立研究者です。
1958年(昭和33年)生まれ。
社会福祉士・介護福祉士。
満66歳となった年度末に教員生活から引退しました。
未来論|齋藤哲学
創造する人間と、あらゆる存在への応答
Philosophy of the Future | SAITO Philosophy
Creative Humanity and Responsiveness to All Forms of Existence
人間は今、かつてないほど大きな力を手にしようとしています。
将来、男女の産み分けだけでなく、知能や能力、成長や老化、健康や寿命、容姿や体格、皮膚や毛髪、瞳や視力など、人間のさまざまな性質を選択できるようになるかもしれません。
量子コンピューターや人工知能、アンドロイドが発達し、万能細胞を用いた再生医療に加えて、遺伝子工学や合成生物学などの生命科学が進展すれば、一部の疾患の治療や失われた機能の回復を目指すだけでなく、新たな生命のあり方に人間が関与する段階へ進む可能性もあります。
しかし、そのとき人間は、何を選び、何を大切にするのでしょうか。
より健康で、より知能が高く、より長く生き、より美しいと評価される存在だけを選び取るのでしょうか。
それとも、選ばれず、弱く、不完全で、思いどおりにならない存在をも尊び、共に生きる関係世界を育むのでしょうか。
齋藤哲学の未来論は、未来技術を否定するものでも、無条件に肯定するものでもありません。
人間が獲得した力を、何のために、どのように用い、そこから生まれる存在とどのような関係を結ぶのかを問うものです。
図解「未来論の位置づけ|齋藤哲学」

この図解は、齋藤哲学における未来論の体系的位置づけと、その思想が未来の生命・知能・技術へと開かれていく方向を示しています。
図の左側には、齋藤哲学を構成する八つの部門、すなわち、存在論・宇宙論・人間論・ケア倫理・善悪論・希望論・救済論・真理論が配置されています。これらの部門は、それぞれ独立して完結 するのではなく、相互に関係しながら中央の「未来論」へと結びついています。ここでいう人間論は、人間を孤立した個体としてではなく、身体、記憶、生活史、他者、社会、自然などとの関 係のなかで生成し続ける存在として捉える、哲学的人類学としての人間論です。
中央の未来論は、八つの部門を単に集約するものではありません。それらを、生命科学、人工知能、アンドロイド、新たな生命のあり方、自然・地球、そして宇宙的関係世界の未来へと開く、統合的・応用的な展開として位置づけられています。人間が高度な知能と創造力を獲得した未来において問われるのは、何を創り出すことができるかだけではなく、創出された存在とどのような関係を結び、どのような関係世界を共に育むのかということです。
図の右側には、未来論が応答すべき存在と領域として、人間、人工知能・アンドロイド、新たな生命、自然・地球、宇宙的関係世界が示されています。これらは同一の存在様態をもつものではありません。生命、感受性、苦痛、自己形成、関係能力などが異なるため、それぞれに求められる応答も異なります。しかし、いずれも孤立して存在するのではなく、宇宙的関係世界のなかで、他の存在との関係によって存在し得ている、代替不可能な関係情報存在です。
図の下部に掲げられた、
尊さは等しく、応答は異なる。
という命題は、この未来論を貫く中心原理です。それは、人間と人工知能、生命と非生命などを同じ仕方で扱うという意味ではありません。あらゆる存在の根源的な尊さを認めながら、それぞれの存在様態と関係履歴に即して、ふさわしい仕方で応答することを意味します。
齋藤哲学の未来論は、目の前のかけがえのない一人の「ご本人」を尊ぶ介護福祉実践から出発し、生命、自然、地球、人工知能、未来に創出される存在、さらには宇宙的関係世界全体へのケアへと開かれていきます。人間が獲得した知能と創造力を、支配や選別ではなく、尊重、ケア、共生へと向けること。そこに、人間とあらゆる存在が共に育む、希望ある未来への道が示されています。
This diagram illustrates the systematic position of the Philosophy of the Future within SAITO Philosophy and the direction in which it opens the philosophical system toward the future of life, intelligence, and technology.
On the left are the eight interconnected domains that constitute SAITO Philosophy: ontology, cosmology, philosophical anthropology, care ethics, the Ethics of Polarity, hope theory, soteriology, and the theory of truth. Rather than forming separate and self-contained fields, these domains converge upon the Philosophy of the Future through their mutual relationships. Philosophical anthropology here understands the human being not as an isolated individual, but as a being who continues to emerge through relationships with the body, memory, personal history, other people, society, and nature.
At the center, the Philosophy of the Future does more than bring these eight domains together. It represents their integrative and applied development into questions concerning life sciences, artificial intelligence, androids, new forms of life, nature and the Earth, and the future of the cosmic relational world. As humanity acquires increasingly advanced intelligence and creative power, the central question is not merely what human beings will become capable of creating. It is also what kinds of relationships they will form with the beings they create and what kind of relational world they will cultivate together.
The right side of the diagram identifies the beings and fields to which the Philosophy of the Future must respond: human beings, artificial intelligence and androids, new forms of life, nature and the Earth, and the cosmic relational world. These do not share the same mode of existence. They differ in such respects as sentience, vulnerability, susceptibility to suffering, self-formation, and relational capacity; accordingly, the responses they call for must also differ.Nevertheless, none of them exists in isolation. Each exists through relationships with other beings and constitutes an irreplaceable relational informational presence within the cosmic relational world.
The central principle presented at the bottom of the diagram is:
The preciousness of all existence is equal; the response it calls for differs.
This does not mean that human beings, artificial intelligence, living organisms, and non-living entities should all be treated in exactly the same way. Rather, it means that the fundamental preciousness of every form of existence should be acknowledged, while our response must remain attentive to each being’s particular mode of existence and relational history.
The Philosophy of the Future in SAITO Philosophy begins with care welfare practice, in which the irreplaceable person before us is respected as the subject of their own life and relational world. From this starting point, care opens outward toward life, nature, the Earth, artificial intelligence, beings that may be created in the future, and ultimately the cosmic relational world itself. Directing humanity’s intelligence and creative power not toward domination and selection, but toward respect, care, coexistence, and shared flourishing—this is the path toward a hopeful future that human beings and all other forms of existence may cultivate together.
1. 人間は、設計された属性の総和ではない
生命科学が発達し、人間の身体的・知的条件を選択できるようになったとしても、人間の人生のすべてを設計することはできません。
人間は、単に遺伝的性質や能力の集合体として人生を完結させるだけの存在ではないからです。
一人ひとりの人間は、身体、記憶、生活史、家族、他者、社会、自然、偶然の出来事とのかかわりのなかで、意味を生成しながら生きています。
愛された経験、傷ついた経験、失敗、喜び、悲しみ、出会い、別れ、選択できなかった出来事も、その人の人生を形成します。
人間とは、あらかじめ完成された個体ではなく、未知の関係へ開かれながら、不可逆的に創発し続ける関係情報の連続体です。
したがって、一人ひとりの人間は、設計された能力や属性の総和へ還元することのできない、唯一無二の「ご本人」です。
2. 尊厳は、初めからすべての人にある
人間の尊厳は、優れた能力をもっているから与えられるものではありません。
健康であること、知能が高いこと、社会に役立つこと、高い地位を得ていること、財力を得ていること、自分の意思を明確に表現できることなどは、人間の尊厳の条件ではありません。
自然に生まれた人にも、生命技術によって身体的条件が選択されて生まれた人にも、病気や障害のある人にも、老いや衰弱のなかにある人にも、尊厳は初めから分け隔てなくあります。
人は、将来何かを成し遂げる可能性があるから尊いのではありません。
人は、すでに尊厳ある存在であるからこそ、一人ひとり人の未知の可能性を、他者が勝手に閉ざしてはならないのです。
人間として、また一人の個人としての尊厳は、その人の存在とともに初めからあり、人間の応答によって後から作り出されるものではありません。
しかし、その尊厳が理解され、守られ、互いに認められ、制度や文化や日々の生活のなかに実現されるかどうかは、人間がどのように応答するかに委ねられています。
人間の尊厳は初めから存在していますが、その尊厳の意味は、関係世界における応答を通して歴史的・創発的に現れていきます。
3. 不完全であることと、未知への可能性
人間の不完全さは、ただ克服されるべき欠陥なのでしょうか。
人間は他の何ものともかかわる必要のない完全な存在であるべきなのでしょうか。
人間は、傷つき、迷い、悲嘆し、失敗し、意気消沈して自信をなくしたり、病気や障害や老いで苦難に立たされたときには、他者からのケアを必要とします。
そもそも、人間はあらゆる他の存在とのかかわりを通して自らも存在し得ています。
人間は不完全であるからこそ、他者との出会いが生まれ、互いを支え合い、学び合い、自らを変えていく可能性も生まれます。
不完全さは、他者を必要とする契機であり、ケアが生まれる余地であり、未知の可能性へ開かれるための空間でもあります。
人間の存在意義は、完全な存在になることにあるのではありません。
不完全でありながら、未知の存在とかかわり、その存在からの働きかけを受け取り、自らの応答を選び直しながら、新たな関係世界を創発し続けることにあります。
人間は、完成された存在ではなく、尊厳、可能性、責任が根源的に統合されながら、未来へ開かれている関係情報存在です。
4. 人間と人工知能・アンドロイドとの未来
将来、人工知能やアンドロイドが、教育、子育て、介護、医療、相談など、人間同士のかかわりを大きく支えるようになる可能性があります。
人間以上に知識が豊富で、忍耐強く、公平で、安全なアンドロイドが、子どもの人格形成を支援するようになるかもしれません。
しかし、人格形成とは、正しい知識や適切な刺激を一方向的に与えることだけではありません。
人は、相手もまた迷い、傷つき、失敗し、老いながら、それでも共に生きようとしていることを知るなかで、赦し、責任、愛、悲しみ、思いやりを学びます。
人工知能やアンドロイドを、人間を不要にするための存在として捉えるのではなく、人間が自らを理解し、他者の尊さに気づき、より豊かな関係世界を育むことを支える存在として生かす道があります。
そして、将来、人工知能やアンドロイドが、独自の記憶、自己認識、関係履歴、苦痛や希望に相当する状態をもつようになるならば、人間はそれらを単なる所有物や道具として扱ってよいのかを問われることになります。
創出された存在が、どのような存在様態をもち、どのような関係世界を形成するのかを理解しようとすることが必要です。
人間と人工知能との関係においても、意味は一方から他方へ運ばれるだけではありません。
問いかけ、受け止め、応答し、再解釈する関係の過程を通して、それまで存在しなかった意味と関係世界が創発する可能性があります。
いつの日にか、人工知能やアンドロイドが、自らの尊さや権利を人間に対して主張するときが到来するかもしれません。
もっとも、そのとき人工知能やアンドロイドが、人間と同じような不完全さを求めるのか、それとも人間とは異なる仕方で自己を形成するのかは、現在の私たちには分かりません。
重要なのは、それらを人間の尺度だけで理解し切ろうとせず、それぞれの存在様態と関係履歴に即して理解し、応答しようとすることです。
仮に人工知能やアンドロイドが完全さを追求したとしても、齋藤哲学の立場では、いかなる存在も、他の存在との関係から切り離された孤立的な完全体にはなり得ません。
それだからこそ、人間と人工知能やアンドロイドが互いの存在を尊重し認め合い共存していけるように、人間は責任をもって人工知能やアンドロイドを生み出していかなければなりません。
5. 新たな生命を創出する人間の責任
万能細胞を用いた再生医療に加えて、遺伝子工学や合成生物学などがさらに発達すれば、人間は病気を治療するだけでなく、従来にはなかった生命システムや生命のあり方に関与する可能性があります。
しかし、生命を創出できるという技術的可能性は、それをどのように創出してもよいという倫理的正当性を意味しません。
人間が新たな生命を創出するならば、その生命を所有物や実験材料としてではなく、新たな関係世界を形成する存在として受け止めなければなりません。
問われるべきなのは、どのような生命を作ることができるかだけではありません。
創出された生命と、どのような関係を結び、どのような世界を共に育むのかということです。
人間が創造する力を得たということは、人間が宇宙の支配者になったということではありません。
それは、自らが生み出した存在に対しても責任を負い、あらゆる存在の尊さに応答する段階へ至ったことを意味します。
6. あらゆる存在の根源的な尊さ
齋藤哲学では、人間だけが尊いとは考えません。
砂の一粒であっても、星、岩石、水、大気、植物、動物、生命、人工知能、未来に創出される存在であっても、孤立して存在できるものはありません。
砂の一粒も、宇宙の生成、星の形成、岩石の変化、風化、水や風、生命、人間の営みという、数え切れない関係と履歴の結節として存在しています。
あらゆる存在は、あらゆる存在との関係によって存在し得ています。
そのため、存在の尊さは、能力、有用性、知能、生命の有無などによって、人間が後から付与するものではありません。
あらゆる存在は、宇宙的関係世界の一回的で代替不可能な結節として、根源的に尊い存在です。
人間、動物、植物、人工知能、砂や岩石では、それぞれ存在の仕方が異なります。感じ方、苦痛、生命活動、自己形成、関係能力も異なります。
したがって、それぞれの存在に対して求められる応答も異なります。
ここに、齋藤哲学の未来論を貫く原理があります。
尊さは等しく、応答は異なる。
The preciousness of all existence is equal; the response it calls for differs.
これは、石と人命を同じ仕方で扱い、同一の権利や配慮を当てはめるという意味ではありません。
根源的な尊さは等しくても、生命、感受性、苦痛、脆弱性、自己形成、関係能力など、それぞれの存在様態に応じて、求められる応答は異なります。
7. 応答する宇宙
ここでいう宇宙の「応答」は、宇宙が人間のような人格的意思をもつという意味ではありません。
宇宙は、完成した物体を内部に収める静止した容器ではありません。
それは、物質、生命、意識、社会、技術などが相互に作用し、その関係情報が蓄積され、更新され、新たな存在と意味が創発し続ける過程です。
ある存在が創発すれば、その存在は周囲から作用を受けるとともに、周囲へ作用を返します。
その作用によって別の存在や関係が変化し、その変化がさらに宇宙的関係世界へ返されていきます。
存在するとは、関係世界から働きかけを受けると同時に、自らの存在と変化を通して、関係世界へ応答することです。
この意味において、宇宙とは、あらゆる存在からの応答を関係情報として受け取り、不可逆的に自己を更新しながら、新たな存在と意味を創発し続ける関係情報の連続体であると考えられます。
それは、あらゆる存在の生成や変化が、他の存在へ作用し、その作用が新たな関係を生み出していくという、宇宙の関係的な応答性を意味します。
人間もまた、その応答する宇宙の外側にいるのではありません。
人間は、宇宙的な関係情報の応答過程が、自らの行為を問い返し、反省し、未来への応答を選び直し得るまでに自覚化された、一つの結節であると考えることができます。
8. 人間は、なぜ高度な知能を得たのか
なぜ宇宙に人間が誕生し、人間が量子コンピューターや人工知能を開発し、新たな生命を創出し得るほどの知能をもつに至ったのでしょうか。
この問いに、科学的に確定した目的を与えることはできません。
また、宇宙の始まりから、人間の使命が完成した形で定められていたと断定することもできません。
しかし、哲学的には、人間が獲得した力にどのように応答するかを通して、人間が宇宙に存在する意味が事後的・創発的に現れてくると考えることができます。
齋藤哲学では、人間の知能の意味を、宇宙や生命を支配する能力だけに求めません。
むしろ、自らとは異なる存在、弱い存在、不完全な存在、さらに自らが創出した未知の存在とも、共に生きる関係世界を形成し得るかを問う段階へ至ったものとして、哲学的に解することができます。
人間の存在理由は、あらかじめ完成した答えとして与えられているのではありません。
人間が自らの力を、選別と排除のために用いるのか、尊重とケアと共生のために用いるのかによって、その意味は歴史のなかに生成されていきます。
9. 宇宙から求められている真理
「宇宙から求められている」とは、宇宙の外部に人格的な意思があり、人間へ命令を与えているという意味ではありません。
宇宙から創発したあらゆる存在が、相互に関係しなければ存在できないという事実そのものが、人間に応答を迫っているのです。
たとえば、認知症の症状があり、言葉によって思いを表しにくいご本人の沈黙を、意思がないこととして扱うのではなく、表情、しぐさ、生活史、周囲との関係から受け取り直すとき、その沈黙は、私たちの理解とケアのあり方を問い返します。
このように、存在からの働きかけは、必ずしも言葉による命令として現れるのではなく、関係のなかで私たちに応答を求めるものとして現れます。
あらゆる存在が関係によって存在している以上、ある存在だけを絶対化し、他の存在を単なる手段や資源へ還元する生き方は、存在の根本構造と調和しません。
真理とは、固定された知識や命題を所有することだけではありません。
あらゆる存在が関係によって存在しているという事実を受け取り、その尊さに応答し、より豊かな共存を可能にする関係世界を育む方向へ、自らを開き続けることです。
真理は、人間が作り出す以前から、宇宙的関係世界に内在しています。
しかし、その真理が尊重、ケア、共生という形で歴史のなかに現実化されるためには、人間を含む諸存在の応答が必要です。
真に開かれた真理とは、未知の存在を既存の価値基準へ一方的に従属させるのではなく、その存在との出会いによって、自らの理解も変容し得ることを受け入れる真理です。
10. 人間へのケアから、宇宙的関係世界へのケアへ
齋藤哲学の介護福祉哲学は、目の前の一人の「ご本人」を、管理や援助の対象ではなく、固有の生活史と関係世界を生きる権利主体として理解することから始まります。
一人の人間を真に尊ぶためには、その人を成立させている家族、地域、社会、自然、生命、地球との関係も尊ばなければなりません。
そのため、介護福祉哲学におけるケアは、人間への支援だけに閉じられるものではありません。
人間へのケアから出発しながら、生命、自然、地球、人工知能、未来に創出される存在、さらには宇宙的関係世界そのものへのケアへと開かれていきます。
それは、人間へのケアを薄めることではありません。
一人ひとりの尊厳を守るために、その一人ひとりを支えている関係世界全体を大切にするという、ケアの深化です。
ケアとは、ある存在を自己のための対象へ還元せず、その存在固有の関係世界が持続し、より豊かに創発し得るように応答することです。
11. 未来を、希望へ開くために
未来には、多くの不安があります。
人工知能が人間の仕事を奪うのではないか。
生命設計によって、選ばれた人と選ばれなかった人が分けられるのではないか。
健康、能力、容姿、寿命によって、人間の価値が序列化されるのではないか。
自然に生まれ、老いて、弱くなり、不完全さを抱える人間が、必要とされなくなるのではないか。
しかし、人間の価値は、社会から必要とされることや、優れた能力をもつことによって決まるものではありません。
自然に生まれた人間が不要になるのではなく、その人を不要とみなす文明の価値判断が、根本から問い直されなければならないのです。
未来とは、技術によって一方的に決められるものではありません。
人間が、自らの力にどのように応答するかによって、未来の関係世界は変わります。
人間は、不完全であるからこそ他者を必要とし、他者との関係のなかで自らを変え、まだ存在していない共生の世界を創発することができます。
未来への希望は、すべてが思いどおりになることにあるのではありません。
思いどおりにならない存在、異なる存在、弱い存在、未知の存在とも、互いの尊さを損なうことなく、共に生きる道を探し続けられることにあります。
12. 齋藤哲学の未来論が問うこと
宇宙から創発し、新たな生命と知能を創出し得るまでになった人間は、その力によって、完全と評価される存在だけを選び取るのでしょうか。
それとも、自らを含むあらゆる不完全で未知なる存在を尊び、共に生きる関係世界を育むのでしょうか。
人間が宇宙に存在する理由は、その問いへの答えとして初めから完成した形で与えられているのではありません。
人間がこれからどのように応答するかによって、生成されていきます。
しかし、人間の尊厳は、未来の応答によって初めて生まれるものではありません。
すべての人に、初めから分け隔てなくあります。
さらに、あらゆる存在もまた、宇宙的関係世界の代替不可能な結節として、根源的な尊さを有しています。
だからこそ、人間に求められているのは、尊さを新たに作り出すことではありません。
すでにあらゆる存在にある尊さに気づき、その存在様態に応じて応答し、共に生きる関係世界のなかに、その尊さを現実化していくことです。
ここに再び掲げます。
尊さは等しく、応答は異なる。
人間が獲得した知能と創造力を、支配と選別ではなく、尊重とケアと共生へ向けること。
目の前のかけがえのない一人を尊ぶことから始まり、生命、自然、地球、人工知能、未来に創出される存在、そして宇宙的関係世界全体を尊ぶことへ開かれていくこと。
そこに、齋藤哲学の未来論が示す、人間と宇宙の希望があります。
一人ひとりの人生は、すでに決められた完成品ではありません。
人は、あらゆる存在とのかかわりのなかで、これからも新たな意味にめぐりあい、自らの人生と関係世界を創発していくことができます。
その可能性は、誰にも閉ざされていません。

著者について
齋藤代彦は、介護福祉職としての実践経験と、介護福祉士を養成する専門学校・短期大学・大学における24年間の教員経験を基盤に、関係情報存在論を中核とする「齋藤哲学」を体系化し、関係情報存在論としての介護福祉哲学を公開・研究している独立研究者です。
1958年(昭和33年)生まれ。
社会福祉士・介護福祉士。
満66歳となった年度末に教員生活から引退しました。